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カテゴリ:コト( 27 )


2019年 08月 20日

「取組=広告(地域における)」

先日、真面目な会議に出席しまして「広告」の話になりました。

広告は、チラシやポスターや新聞の記事の間、雑誌の裏表紙にあったりします。

広告とは「広く世間に知らせること。特に、商品や興行物などを広く知らせ、人の関心を引きつけること」らしいです。

私も参加した会議で言われたのが、仮に熊本の新聞の広告を出しても、例えば「◯×のイベントを行います!」と出しても、それに見合う波及効果というものは、ほんの僅からしいです。1000人に1人。3000人に1人かも。

もちろん、そのイベントに有名人が来るというならば話は違うでしょう。それは逆に規制をしたり、違う心配が出てきます。

つまり「広告」と言っても、何を目的にするかで大きく変わります。

テレビやラジオ、雑誌などは広告主がいて、その方々が広告費を払い、楽しい企画を考えて運営しています。

また、よくある行政の補助金事業はチラシやパンフレットやポスターなどを作って配布しています。

そんなことを漠然と考えているのですが「広告」というのは、広告主が広告するのですから、良く言うのは当たり前であり、いつからか私の中では「虚構」であり、当たり前に作られているフィクションだと感じています。

あくまでも私の中ではですが、広告=虚構になっていまして、最初の説明でもあるような「人の関心を引きつけること」からは大きく変わってきました。

そればかりか「広告費用が上乗せしてあるのだから、高い価格設定になっているのではないか」と怪しむようにもなりました。

まあ、私のように思う人も少なく、純粋に広告としての目的を果たしているならばよろしいのですが。
(もちろん、斬新な切り口で企業PRされることで、世界観を表すことは素晴らしいと思いますが、その前段階)

そんな中、最近ふと思うのは、昔はどうしていたんだろうか、ということ。昔は今みたいに映像が無いので「伝聞」「噂」で人伝いに、今で言う「クチコミ」で広まっていったのではないでしょうか。

「そんな絶景なら一度見てみようか!」
「そんな美味い変わった食べ物があるのか確かめよう!」という感じに、クチコミが小旅行や新婚旅行のきっかけに繋がっていたことでしょう。

そこには「地域性」が必ずあり、自分の地元と違うことが珍しい「体験」となって、それがまた知らない人の耳に入り広がっていったのではないでしょうか。

つまり、その地域で普通に行っている「取組」が「広告」となっていたのではないかと感じます。
柳宗悦著「手仕事の日本」を読んでも同じように感じます。昔は「地域性」に合わせて「工芸」は発達したので、その地域の産物という物はキレイに精査されていたように思います。堺の刃物、明石の鯛、関サバ関アジ、伏見の酒など

「広告」ということが様々な分野に広がっているので、全てに言えることではないのですが、その地域の「取組(まつり、ローカルフード、イベント、行事など)」を行う地域の熱(エネルギー)こそが「広告」になるのではないかと思います。


つまり、前半にあるように広告を告知として使うことを目的とするよりも、よくある「地域おこし(地域づくり)」という「取組」を行うことが、その地域の「広告」となり、その地域の「生々しさ」を伝える最善の手段になるのではないかと感じます。
※職種によっては何でも

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地域性、地場産業、文化継承、そういうことを大切に思うならば、安直な予算消化である高価な広告を出さずに、今だからこそ覚悟ある方々が行う「地域おこし(地域づくり)」の支援をするべきだと思います。

それが、本来の意味での「広告」に繋がるのではないでしょうか。


by sumiya-aramono | 2019-08-20 21:24 | コト | Comments(0)
2019年 08月 03日

「愛だろ、愛」

BOOKSOUNDSさんから「何者からかの手紙」が届いた。

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届いて、久しぶりにワクワクしながら、簡素な木枠の郵便受けを組み立てた。

明朝体のタイトルが付いた便箋に入った手紙を、ハサミで上部を切って読んだ。

つい「ニヤリ」してしまう、文章。
ただただ伝わることは「あぁ、これを作った人は本や文章が大好きなんだな」ということ。

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「何者からかの手紙」は、一通150円。コンセプトがとても面白いし、かと言って無責任なフリーぺーパーとも違う。

そして今日午前中は、熊本国際民藝館に少しどけ手伝いに行ってきた。新しい展示替えの日で、民藝館ではいつも通りユックリとした時間が流れている。

少しだけ、冊子「民藝」を分けて頂いた。古い民藝を読むと、その時代の「必要性」が見える気がする。しかし、この「民藝館」に携わっている方々の、商売下手(失礼!)いや、無欲な感じはどうしたことか。

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自己満足とも違う、何かしらのモチベーションがあって続けてらっしゃるのだろうか。
だって、話している職員さんは、20年前から居る人ですから。

ふと頭をよぎったワード、それが「愛」?かも。
あぁ、そうなのかも。先ほどのBOOKSOUNDSさんも「愛」があるんだろうな、そうだ、そうに違いない。
根源的なモチベーションの上げ方があるんだな、そして、そういうことが大切なんだろうな、と感心しました。


by sumiya-aramono | 2019-08-03 17:26 | コト | Comments(0)
2019年 07月 01日

「分かりやすさ」

車で移動している時は、例えばラジオを聞いていたり、録音しているラジオを聞いていたり、Superflyを聞いていたり、無音で考え事をしていたり、ということが多いです。

いろいろなことを考えて、もちろんそれが間違っている方向に向かっていることは多々あるかもしれませんが、考えるということが「大切」なことと思っています。

最近、考えている1つが「分かりやすさ」です。今、時代は「分かりやすさ」を求めているのではないか。

可視化とも言ったりしますが、結局は「分かりやすさ」現代人にズバッと何かを伝えるとしたら、案外受け入れられるのではないか?

昔、無印良品が好きでして、今になって昔の無印良品のコンセプトを見ています。とても好感が持てたのは飾らない「分かりやすさ」だったからではないのか。

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下記のリンク先のインタビューの中で、バブル時代のブランドの在り方に警鐘を鳴らす所があります。

『日本の経済がバブルに向かっていく中で、当時は有名ブランドのロゴを付けるだけで、実質の価格よりも高く売るようなことが一般的になってきました。それを私たちは、「付加価値の間違った運用」だと思いました。大切なのはものの価値をきちんと伝える商品設計です。ジョークになりますが、トイレットロールのカバーに「CHANEL」というロゴを刺繍しただけでも売れてしまうような時代。現代にココ・シャネルが生きていたら、「あら、私の名前がトイレに使われているわ」などと思うのではないかという感じでした。』

無印良品が始まったのが昭和55年。今から40年ほど前。そんな私は今、初老を迎え、何かしらの「モノを作る」時に、この時代の人たちの言葉は、私の中の「分かりやすさ」を刺激します。

つまり「分かりやすさをデザインすることがブランドになる」かな。

さあ、頑張ろう。





by sumiya-aramono | 2019-07-01 21:20 | コト | Comments(0)
2019年 06月 22日

「欲求」

最近、いろんな取組を通して、いろんな方と話す機会があったからでしょうか。

昔知った「マズローの5段階欲求」

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今は、これにもう一つ加わり、6段階というのが定説になっているみたいです。


こちらのブログに解りやすく書いてありました。

それにしても「承認欲求」というのが、人間においては当たり前に備わっている欲求でして、マズローで言えば4番目です。

最近思うのですが、商売もかなり当てはまっているなあ、と。ブランド品や家の庭、人から良く見られたい、特別と思われたいという欲求によって経済市場は回っている面もあります。エンターテイメントもそうでしょう。

旅行だって、特別な時間を過ごし、お土産を友達に渡しながらささやかな自慢をしてしまう。

人々の承認欲求を上手く誘導し、ビジネスに繋げていってるんだな~と感心してしまいます。Instagramなどもですね

特別に悪いことではなく、人間にとって備わっている感覚ですので、悪くは思いません。でもせっかくならマズローの言う5番目、6番目、承認欲求とは違うことに挑戦していきたいと思います。


by sumiya-aramono | 2019-06-22 12:25 | コト | Comments(0)
2019年 03月 20日

「旅」

いよいよ年度末です。ここのところ熊本の住宅関係は回転がとても速く、年度末も相まって多忙な所が多いです。

普段、熊本各地をドライブしているような仕事をしていますが、私にとっていろんな街町を観ながら考え事をするのが、とても頭の整理になるし、新鮮です。

「旅が仕事」と言った友達が居ますが「新しい何か」を常に考えている人は、行動しながら考えた方が合理的だと思います。反対に、自分の中に答えを見付ける必要がある人は、一つの所に留まっている方が良いと思います。

そんなドライブのような仕事から帰って来た先日のこと。

「スベリーマンが死んだって」と聞きました。

山鹿においてもコアな人しか知らない人で、私もそんなに詳しい方じゃないですけど、つい2週間くらい前に話したので、少し衝撃でした。

それを聞いた彼を知る数人の方は(私から見るとですが)、そんなに悲しそうには見えず、何か「旅に出た」みたいな印象でした。

正直、それが「少し」羨ましかったり。例えば、自分が死んでもそんな風に思ってくれる方が良いなあ、と。

人間の一生なんて揺りかごから墓場までの旅行のようなもの。そんなことを一瞬考えて、またドライブのような仕事をしています。

ドライブの途中に仕入れた(前から欲しかった)生命力のある皿。井上尚之作

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御冥福を御祈りします。

by sumiya-aramono | 2019-03-20 21:12 | コト | Comments(0)
2019年 03月 06日

「雨の車内にて」

最近、周りの環境が年度末だからでしょうか加速度的に速いような気がしています。

店が失くなったり、新しいのが出来たり、取組が終ったり、新しいのが発足したり。

そんな中でも、ささやかな嬉しいことというのは、ごく稀にあるもので、それが何なのかと考えたときに「お金じゃ買えないもの」というのが大前提にありました。

よく言えば「繋がり」だとか「言葉」だったり。

ああ、息子の高校受験も自分の中では衝撃でした。人の人生とは思っていても、やはり息子なので心配になりますし、彼が受かって喜んでいるのを見ると嬉しかったです。

これから時代的にはシビアになっていくと思います、こんな田舎のライフスタイルも徐々に変わっていくことでしょう。

損・得というのがとても明確になっていくと思います。

でも変わらないモノも何かしらあると思います、変わらないモノを大事に出来たらな、と雨の車内で思いました。

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by sumiya-aramono | 2019-03-06 15:13 | コト | Comments(0)
2019年 02月 26日

「誰とやるか」

実感するところではありますね。
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コチラより↓確かなことですね。



by sumiya-aramono | 2019-02-26 15:35 | コト | Comments(0)
2019年 02月 02日

「雑貨考(断念)」

お恥ずかしながら、少し出して頂きました。

三品輝起著「すべての雑貨」も読み返しましたが、本当に雑貨という枠は無くなっていってまして、それが良いか悪いかさえ分かりません。

個人的にですけど「雑貨」という言葉はあんまり好きではないのですが、雑貨という概念自体が一致しないので、雑貨という言葉が一般的には解りやすいのだろうと思いました。


「山鹿という街はもう終わっている」と言われる方もいらっしゃるかも知れません。でも私は逆にこれから始まるんだろうとな、と思っています。

考えていたら、逆にとりとめのないものになった感じはありますが、人間性の欠片を感じることも出来るのではないかな、と思います。




by sumiya-aramono | 2019-02-02 10:37 | コト | Comments(0)
2019年 01月 31日

「雑貨考(未だ考え中)」

今さらですが「雑貨」とは何か、ということを考えています。

小さい街の小さい考えでしょうけど、ヒトの雑貨に対する想い。

果たして消え行く存在なのか。繋がって行くものなのか。

自分の中にも、うっすらある想いを、纏めています。

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by sumiya-aramono | 2019-01-31 17:55 | コト | Comments(0)
2019年 01月 12日

「地域を良くするには」

「地域がどうやったら良くなっていくのか」という問題は、目的において大きく変わっていく。
「別に何も不都合がない」と言われる人が大部分ならばそれまでの話、「他地域と比較した時に違うのでは?」と感じる人が居れば上記のような命題が必要になっていく。

新年明けても、メディアは相も変わらず「感情」を逆なでするニュースばかりを取り上げます。いずれ「隣の晩御飯が豪勢過ぎる」というのもニュースになるのでは?と勘繰らずにはいられません。人は人、自分は自分というのは分かっていても「承認欲求」が大切なこのご時世、炎上商法というものもありますので、隣の芝生の話にばかりになってしまいます。

「地域」の話もちょっと似ていまして、隣の芝生の話ではないか?と思われがちですが、地域の問題は取り組む人によって大きく変わります。
取り組む人たちの知識や行動や熱量によって、またその人の周りの環境によって、良くも悪くも変わることがあるでしょう。

いかんせん、地方は外から入ってきた人に冷たいというのがデフォルトですので、外から熱量を持っている人が来られても、数年後に心折れる結果になっている所もあるのではないでしょうか。地方の成り立ちのような図を思い描いても、地方に古くから居る声の大きい人の方を優遇する場合が多いでしょう。それは、行政的な配慮というか、地域が揉めないようにする配慮に他なりません。

そうなんです。今の現状は「揉めないため」というのが大前提で、単純に地域において「良いか悪いか(必要か不必要か)」という議論では無くなっています。
確かに組織が大きくなるに連れて「揉めること」というのは時間的損失が大きいですが、揉めることと「真剣に議論する」ことは違いますし、揉めないために「御座なりな事業」をするのも違います。

必要な命題「地域を良くする(活性化する)にはどうすれば良いのか」を考え、それに対して純粋に「善・悪」を考える必要があると思います。
誰でも、時間的なコストや、面倒くさいことをしたくはないのですけど「地域がより良い方向に変わる」と信じて活動する人がいることは、地域にとって財産になると思います。大切なのは「揉めないことが地域にとって良いこと」なのではなく「地域にとって良いことは何だろう?」ということを真剣に議論することです。

揉めないことを良しとすることは、必ずしも地域にとって良い結果を出しているとも限りません。地域(広い意味で自分以外)のことを良くするためには、時には強く言わなければならないし、行動しなければならないと思います。それは自らの保身とは違い、未来に生きる世代のために行動することです。
世の中には様々な職業があるとは思いますが、私たちサービス業界も「自分だけのため」を考えていては衰退してしまいます。
今よりほんの少し、自分ではない「地域のため」「地元のため」「○○のため」と想う人が多くなることが、単純ですが今よりも良い方向になると思います。また、メディアにおいても発展性が生まれ、人を羨まないことが「美徳」のようになれば良いと、新しいノートPCの使い心地を確認しながら思いました。

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by sumiya-aramono | 2019-01-12 14:53 | コト | Comments(0)