2019年 08月 20日
先日、真面目な会議に出席しまして「広告」の話になりました。 広告は、チラシやポスターや新聞の記事の間、雑誌の裏表紙にあったりします。 広告とは「広く世間に知らせること。特に、商品や興行物などを広く知らせ、人の関心を引きつけること」らしいです。 私も参加した会議で言われたのが、仮に熊本の新聞の広告を出しても、例えば「◯×のイベントを行います!」と出しても、それに見合う波及効果というものは、ほんの僅からしいです。1000人に1人。3000人に1人かも。 もちろん、そのイベントに有名人が来るというならば話は違うでしょう。それは逆に規制をしたり、違う心配が出てきます。 つまり「広告」と言っても、何を目的にするかで大きく変わります。 テレビやラジオ、雑誌などは広告主がいて、その方々が広告費を払い、楽しい企画を考えて運営しています。 また、よくある行政の補助金事業はチラシやパンフレットやポスターなどを作って配布しています。 そんなことを漠然と考えているのですが「広告」というのは、広告主が広告するのですから、良く言うのは当たり前であり、いつからか私の中では「虚構」であり、当たり前に作られているフィクションだと感じています。 あくまでも私の中ではですが、広告=虚構になっていまして、最初の説明でもあるような「人の関心を引きつけること」からは大きく変わってきました。 そればかりか「広告費用が上乗せしてあるのだから、高い価格設定になっているのではないか」と怪しむようにもなりました。 まあ、私のように思う人も少なく、純粋に広告としての目的を果たしているならばよろしいのですが。 (もちろん、斬新な切り口で企業PRされることで、世界観を表すことは素晴らしいと思いますが、その前段階)
そんな中、最近ふと思うのは、昔はどうしていたんだろうか、ということ。昔は今みたいに映像が無いので「伝聞」「噂」で人伝いに、今で言う「クチコミ」で広まっていったのではないでしょうか。 「そんな絶景なら一度見てみようか!」 「そんな美味い変わった食べ物があるのか確かめよう!」という感じに、クチコミが小旅行や新婚旅行のきっかけに繋がっていたことでしょう。 そこには「地域性」が必ずあり、自分の地元と違うことが珍しい「体験」となって、それがまた知らない人の耳に入り広がっていったのではないでしょうか。 つまり、その地域で普通に行っている「取組」が「広告」となっていたのではないかと感じます。 柳宗悦著「手仕事の日本」を読んでも同じように感じます。昔は「地域性」に合わせて「工芸」は発達したので、その地域の産物という物はキレイに精査されていたように思います。堺の刃物、明石の鯛、関サバ関アジ、伏見の酒など 「広告」ということが様々な分野に広がっているので、全てに言えることではないのですが、その地域の「取組(まつり、ローカルフード、イベント、行事など)」を行う地域の熱(エネルギー)こそが「広告」になるのではないかと思います。 つまり、前半にあるように広告を告知として使うことを目的とするよりも、よくある「地域おこし(地域づくり)」という「取組」を行うことが、その地域の「広告」となり、その地域の「生々しさ」を伝える最善の手段になるのではないかと感じます。
by sumiya-aramono
| 2019-08-20 21:24
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