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2017年 12月 11日

「文化」

文化とは何か。最近はいつもこんなことを考えます。
「文化とは?」と、調べてみると下記のように出てきます。

人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。
1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。

 文化とは、以上のようにかなり幅が広い。人間の世界そのものを文化として良いのではないかとも思えます。しかし、文化の違いというものがあるように、お国が違えば文化も変わり、手法も変わり、意味合いも変わってきます。

 食文化はその典型で、寿司や天ぷらなどは、海に囲まれた日本特有の食文化(もちろん、その他にも)です。海に囲まれていたからこそ江戸前寿司が出来、そこに「粋」というエッセンスが加わり文化が華開きました。海があったからと言って、沖縄に寿司が定着しなかったように、その土地における「地域性」というものの方が特に重要な気がしています。

 話が変わって、私が若い頃に読んだ「手仕事の日本/柳宗悦著」があります。今では青空文庫でも読めるようになってます。それには、日本津々浦々の「民衆的工芸」が纏めてありますが、食文化と同じように、その地域で作られている「工芸(道具)」には、その地域で作られている理由があります。近くに川があり、和紙が作られているなら和紙製品が。鉄が採れるなら南部鉄器のような鋳物産業が。石が採れるなら磁器製品が盛んだったり、暖かい場所は絵付けが華やかだったり。

 そして、その地域性から生まれた産業(生活)が長年続いて行った場合、その街には特色が顕れます。もしかしたら精神性と言えるかも知れませんが、その特色が「文化」だと思います。※地域における神事、祭、伝統芸能なども
 一つ言えることは、長年続いていなければいけないというのはあると感じます。それは無理をしない行動であり、生活という基盤があるからこそです。無理をして続けていけないということはつまりは淘汰されて往くということです。それも文化の側面です。

 そういったことを、現代に置き換えてみると感じることがあります。何故昔は地域性が確率されていたのか?交通が現代ほど発達していなかったし、関所のように他県は他所の国のように特色があることの方が「良し」とされていたのではないでしょうか。今で言う「ブランド」が地域で守られていた。それを「伝統」と言うのでしょう。

 反対に、現代はどこにでも行けるようになったので、その地域性というのが無くなりつつあります。解らなかったことは「神」のせいにしていたので盛んだったろう「信心深さ」もインターネットのお陰で低くなったのではないでしょうか。そんな事ばかり考えていたら、何も良いことが無いように思えてきますが、最初に戻りまして、では「熊本の文化とは何か? 」私が住み暮らす「山鹿の文化とは何か」という事を、もう一度考えています。

 文化は作れるものか?と思いますが、文化は「後付け」なように、後にならないと分からないものです。「人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体」と言われているように、1年で終る一過性なものを文化とは言わないでしょうし、私が仕事をしている「畳」でも1300年程の歴史があります。ただ、その時代時代に「これは文化だ」と昔の人が感じていたとは思いません。永く続く生活の痕跡が「文化」であり、作ることよりも営みによって必然的(現実的)に生まれるモノです。

 私が住み暮らす山鹿は一昔前でしたら、温泉=歓楽街、八千代座=歌舞伎、ということが言えたのでしょう。せっかく今までも続いているものなので、そういったものを無駄にはしないように続けていける「何か」をしなければいけないと思っています。また、良ければ柳さんの著書も。




by sumiya-aramono | 2017-12-11 01:34 | コト


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